あの頃の競馬~1992年その1

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指定席

1992年というと、オグリキャップの引退が1990年というから、いわゆる第2次競馬ブームのピークは過ぎたあたり。とはいえ、まだまだ競馬人気は健在で、中央競馬の馬券の売り上げも伸びており、競馬場は大変な人出があり、朝早くから並ばないと指定席は取れない状況だった。

なお、中央競馬の売り上げは1997年の4兆円をピークに下降し、2011年には2兆2936億まで落ち込んだものの、その後は回復。2019年(令和元年)には2兆8817億円に達し、今や3兆円を超えるところまできている。

当時はまだJRA-CARDによる指定席の予約はなく、その時私が住んでいた大阪のある市(今や政令都市となった大都市)を朝4時頃に出発し、朝6時頃には京都競馬場の門に着くようにしていたが、その時点でもう10人程度は並んでいるのが常だった。

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前日の晩

前日は興奮し、遠足前の子供のように寝れない状態だったが、競馬新聞とにらめっこしているからどっちみち寝ることはなく、ほぼ徹夜だった。

スマホもTargetJVも無いから、関西人の前日予想は、関西では圧倒的シェアを誇りオッズを作るとまで言われた専門誌の競馬ブック、そして競馬ブック提供のサンテレビやKBS京都で放映される競馬展望がその道具であった。

そこに私は、月曜日に発売される週刊競馬ブック、そして競馬ブック社発行の競馬四季報を合わせて、まさに競馬ブック一色の予想環境であった。ちなみに好きなトラックマンは松本晴夫先生であり、勝手に心の師匠と崇(あが)めていたものだ。

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車と音楽

もちろん、ナビなんてある訳ないし、車で聞くのはカセットテープ。レンタルしたCDからダビングしたカセットから、さらに選り好みの曲をダブルラジカセで別のカセットテープに録音する。「勝てるカセット」と名付けた、それを聞きながら京都競馬場へ向かっていた。

当時よく聞いていたのは、今や大物となったレッド・ホット・チリ・ペッパーズの、5枚目となる名盤「Blood Suger Sex Magic」である。これはレンタルではなく、確か日本橋のジョーシンのメディア館で珍しくジャケ買いしたものだ。

この頃、他にはthe theのMind Bombもよく聞いたのを覚えている。もちろん、普通にThe BeatlesやBON JOVIも聞くし、何やったら松山千春まで聞く雑種の音楽好きである。

なお、勝てるカセットと銘打った割りに全く勝てなかったのは言うまでもない。また、その数年後には「YouはShock」じゃなかった「愛をとりもどせ!!」を聞き、北斗の拳を打ちに行って金を取り戻すどころか追い打ちをかけていたというから、いつまで経っても成長していないのが良くわかる。

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もう30年近く前のことだから細かいことはうろ覚えだが、朝6時から並ぶのがきつかったのは良く覚えている。特に冬。とにかく寒く、勝負する前からほぼ死にかけになる。だからだろうか、本来の開門は9時のところ、朝(又は徹夜)から並んでいるファンのため、8時頃に開門して中の待合室に入れてくれていたように思う。

そこに、200円くらいのホットコーヒーを売りに来ていたような記憶もあるが、何分昔のことだから記憶違いかもしれない。と、こんな話をしていると後藤浩輝騎手の事を思い出してしまう。

幾度となく大怪我に悩まされるも、その度に克服して強くなり一流となった騎手であるが、腕が立つだけではなく競馬界とファンを大事にするエンターテイナー性にも溢れており、競馬界には無くてはならない存在であった。

そんな彼のエピソードの一つとして「徹夜で並ぶファンのため、サイン入りの使い捨てカイロを差し入れした」というものがあり、もし、私が並んでいたときにそんな騎手が来てくれていたものなら、一遍に大ファンになったと思う。嬉しかっただろうなぁ。

記事も長くなったので、今日はここまで。

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