あるギャンブル依存症患者の日記〜その1

あるギャンブル依存症患者の日記
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はじめに

あるギャンブル依存症患者の日記という題名だが、医者にかかってその診断を受けた訳ではないから、ギャンブル依存症といっても自称であり、医者にかかってもいないから、患者というのもおかしいのかもしれない。

しかし、ウイルスへの感染など物理的な検査による病気ではなく、最終的には医者の匙加減で決まる疾病だから、素人判断であっても強(あなが)ち間違いとは言えない。

そして、何と言ってもその患者とは、他ならぬ私自身だから、控えめに言ってもギャンブル依存症であることは確かである。間違いない。

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スペック

そんな私のスペックと、これまでの経緯を書いていこう。そうでないとこれからの話もピンとこないだろうから。

年は50過ぎのゴリゴリの関西人で、残念ながら男である。これで女なら読む方も色気があっていいのだが、これは仕方がない。

職業はいわゆるフツーの会社員で、高卒して間もなく働き、一貫してフツーの経理事務しかやってこなかったから、営業力や企画力は皆無であり、どこに転職しても使い道のない価値の無い人間である。

意外や既婚であって、成人した子供と成人していない子供がいる。その成人した子供も、アルバイトに毛の生えたような仕事しかしておらず、未成年と何ら変わらない甲斐性無しだが、それは遺伝だから仕方ない。

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ギャンブルとの付き合い

小さい時から家族で賭け麻雀などをしており、それがギャンブル事始めということになるが、そんなのは誰でもやっている(少なくとも正月なんかは皆んなやってましたよね。)ことであり、それがギャンブル依存症になった原因ではない。

兄の影響でパチスロを始め、二十歳前後はベンハーやらプラネットを打っていたが、あくまで遊びの範疇であり、こちらも給料の範囲内でキチンとやっていた。おかしくなったのは4号機からだ。

その二十歳頃から、並行して競馬を始める。初めて買った馬券は春の天皇賞。一番人気のおたべ、いや岡部騎乗のスルーオダイナから枠連を3点。というか、当時はまだ枠連しか無かった時代。これをキッチリ外したが、勝ち馬イナリワンに乗っていた当時デビュー3年目の武豊の姿を見て、競馬にハマった。

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それから

その頃は、中・高からの連れといつも遊んでおり、会社員の私と大学生という2人でつるみ、毎日のように空いた時間に待ち合わせては、パチンコと競馬通いという底抜けに楽しい日々であった。

ちなみにらこの頃のパチンコは平台を中心に打っており、何故かダンシング金ちゃんとか、サーカスとか、少しマイナーな台ばかり打っていた。パチスロも、山佐の超マイナー台、よく分からない緑のアルミホイル絵柄と謎の240の文字のあるリプレイこある、スピードという台を打っていた。

競馬の方は、いつも負けていた(パチンコも負けてたけどね。)いう記憶しかない。それでも毎週楽しかった。今のようにネットが無いから、情報源は限られている上、お金もかかる。競馬ブック、週刊競馬ブック、競馬四季報、優駿など、必ず買っていたモノだけで、相当な金額を払っていた。

この頃は馬券と競馬、半々くらいの楽しみ方だった。今はほぼ馬券だ。こうなると、馬ではなくオッズが走っているのと同じである。

なんだかまとまりのない話だが、続けることが大事と考え、これで良しとしよう。今日はここまで。

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