アンカツも敵わなかった、名古屋の天才騎手「坂本敏美」

騎手列伝
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不運の天才騎手

先日は惜しくも早世した岡潤一郎騎手のことを書かせてもらった。そして、その現役時代を知らない若いファンは、かつて「武豊のライバルになる」とまで言われた彼のことを知らないのではないかとも書いた。

しかし、福永洋一のことは現役時代を知らない私であっても、息子である祐一がデビューする前から、そういう名の伝説的な騎手がいたという事はなんとなく知っており、さらには競馬ファンでなくとも、その名前を聞いたことはあるという人は多いのではないだろうか。

ここで、その福永洋一について少し触れておく。私が最初に見たのは、昔どこかの民放でやっていた、過去の大レースを放映する番組でみた、ハードバージが勝った皐月賞である。レースを見たときは心底驚いた。単に直線、内を突いたというだけではない迫力。まるで周りとは違う時の中を動いているかと思わせる程の一瞬の動き。

ああいうレースができるのは、やはり天からその才能を賜った者にしかできない、限られた人間だけに許された技なのだろう。

その後、息子である福永祐一のデビュー、そして父も果たせなかった祐一のダービー制覇など、息子を通じてその名やその騎手時代の話が出る事もあって、福永洋一の名はまだ目にする事も多い。

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坂本敏美と安藤勝己

しかし「坂本敏美」の名前を見かける事はほとんどなく、知名度はどう考えても低い。私も競馬を始めて20年近くたった頃、ようやくその名とその凄さを知る事になった。

私がその存在を知る事になったのは、こちらも私から言わせると天才であるアンカツこと安藤勝己騎手によってである。

安藤勝己。デビュー3年目に早くもリーディングジョッキーとなった以降、18年連続でその地位を守り、笠松では「カラスが鳴かない日はあっても、アンカツが勝たない日はない」といわれる程の騎手となる。

その後の中央入りまでの道のりや、その後の活躍はよく知られているところである。

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連対率6割9分

その坂本敏美であるが、そのアンカツをして「真似したくてもできない。というより、真似する気さえ起きない」「理解できないから目標にはしない」と言わしめる程、独特の乗り方(最後の直線では両脇が広がる、手綱はブラブラ。見た目にも格好悪いものだったとか。)で、事故に遭った年の連対率は6割9分だったというから凄まじい。

本当に、一度見てみたかった。前走2桁着順にもかかわらず、坂本が乗るならと1番人気になり、そして本当に1着にしてしまう。しかも、「何故あんな乗り方で勝てるのか分からない」などと言われるほど理解不能。聞いただけでワクワクする。

そんな坂本に不運が襲いかかる。1985年7月19日名古屋競馬第8レース、坂本が騎乗するハイセイヒメが4角付近で心臓麻痺を起こし鞍上の坂本が落馬。運悪く転倒した坂本の上に馬が倒れこみ、坂本はハイセイヒメの下敷きとなってしまう。

ハイセイヒメは死亡、坂本は何とか一命は取り留めたものの、頚椎損傷により首から下が一切動かなくなってしまう。

ハイセイヒメの前走にも騎乗していた坂本は、ハイセイヒメの体調の変化に気づいており、次走は自重するように進言していたにもかかわらず、このような結果になった。その後の名古屋競馬との交渉も芳しくなく、市から100万円ほどの僅かな和解金が出されただけだという。

無事であれば、どれほどファンを魅了し、喜ばさせていただろう。中央のファンにもその姿を見せる可能性はあり、素晴らしい騎乗を見せていたかもしれない。

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坂本がいれば…

その坂本の騎乗が中央でも見られたかもしれないのが、1986年のジャパンカップてある。当時、坂本の所属していた東海地区最強といわれたジュサブロー。地方時代には坂本も騎乗しており、坂本が無事なら当然乗り続けていただろう。

鈴木純児に乗り替わった後もジュサブローは素晴らしい成績を残し、中央へ殴り込みをかける。

中央緒戦のオールカマーを5番人気の低評価を覆し、3馬身半の快勝。そして本番のジャパンカップでも一時期は1番人気に押され、レースでは手応えよく最後の直線を迎えるも、最後には力尽き7着に敗れる。

馬群に沈んでゆくジュサブローを見ながら、安達小八調教師は「坂本がいれば…」と嘆いたという。

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