熊沢重文~競馬界きっての二刀流

騎手列伝
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障害レース

競馬には、大きく分けて2つの競争がある。その一つはダービーや有馬記念を頂点とする平地競争であり、もう一つは中山大障害を頂点とする障害競走である。

戦前は障害レースもかなり行われており、1941年には平地954レースに対して障害レースは598レースと、全レースの3分の1が障害レースであった。しかし、年々その数は減っていき、今では平地約3170レースに対し障害は約130レースと、障害レースの数は1割にも満たない。

戦後間もない頃は(今でもそうだが)、平地で活躍できない馬のための受け皿としての役割が大きかったものの、危険であることや競走馬を馴致する技術が無いということもあって、地方競馬に流れる事がほとんどであった。

なお、イギリスとアイルランドにおいてはら今も障害レースの方が人気があり、例えばイギリスにおける2014年のレース別馬券売上の1位はダービーではなく、障害レースのグランドナショナルであり、売上トップ20はダービーの7位を除き、全て障害レースで占めていた。

レース数も、平地約5300レースに対して障害は約3300レースあり、アイルランドに至っては、平地約900レースに対し障害は1300レースと、障害の方が多くなっている。

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障害に乗る騎手

平地で活躍できなかった馬が障害レースに流れるように、騎手も平地での乗り鞍が無くなった者が新天地を求めて障害に乗る。最初から障害馬や障害騎手という者はいない。

よって、当初から活躍した一流騎手というのは、障害競争の経験がないまま、騎手人生を終える。また、新人の頃は平地・障害の両方を乗っていた騎手も、平地で活躍ができるようになれば、危険な障害レースは乗らないのが普通である。

そんな中、熊沢重文は勝ち星を多く重ね、ついにはG1を勝った後も、障害レースに乗る事を止めない。G1を勝つたびに周りから「いつ障害を止めるのか」「平地一本にしたほうがいい」と提言されても、障害レースに乗り続けている。

その訳は、本人いわく「障害には障害の良さがある。平地と違い、障害は馬に一からレースを教え、密接に係わっていく必要がある、そのゼロから積み上げていく過程が楽しい。」ということだ。

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デビューから

1986年にデビューし、30勝を挙げる。同期には横山典弘(8勝)、松永幹夫(40勝で関西新人賞)がいる。その後もコンスタントに勝ち星を重ね、順調な騎手生活を送る。

3年目の1988年には、10番人気のコスモドリームでオークスを制し、当時の最年少G1勝利記録(20歳3ヶ月、現記録は武豊の19歳8ヶ月)を成し遂げた。そして、熊沢の名を全国区にしたのが、その3年後、1991年の有馬記念である。

1番人気は、菊花賞・春の天皇賞を勝ち、宝塚記念を2着と充実期を迎えるも、秋の天皇賞で1着に入線するも降着(18着)となり、ジャパンカップでは4着と不完全燃焼となっている感のある、王者メジロマックイーンと武豊。ここは単勝1.7倍とダントツの人気であった。

対する熊沢騎乗のダイユウサクは、その年の初めに金杯で初重賞勝ちをした遅咲きの7歳馬で、その後勝ち星に恵まれずに、ようやく前走の阪神芝の1600m(オープン)で勝ち星を挙げたばかりで、有馬記念は他の有力馬の回避などもあって、なんとかJRA推薦で出走することができた。

その程度の成績のため、単勝は15頭立ての14番人気でオッズは137.9倍と人気はなかった。馬主もまさか勝つとは思わず、当日は中山競馬場には姿を見せず、表彰式にはその娘などが代理として出席したという。

しかし、直前の調教はデビュー以来最高の状態で、内藤調教師と熊沢騎手はかなりの手応えを感じており、「無様なレースはしないだろう」との感触で、内藤調教師は当日は正装の上、来場していたという。

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有馬記念制覇

先行勢が壊滅する中、最後の直線で早めに抜け出し先頭に立ったのは、秋の天皇賞でメジロマックイーンの降着により繰り上がりで1着となったプレクラスニー。そのプレクラスニーを、外から交わしに行くメジロマックイーン。

メジロマックイーンと武豊にすれば、そのプレクラスニーさえ交わせば勝てると思っていただろうし、その通りになるはずだった。しかし、その前の時点で、既に内から1頭凄い脚でプレクラスニーを抜き去っていた馬がいた。

それがダイユウサクであった。熊沢にとっては長い長い直線だったろう。そして、追いすがるメジロマックイーンが1馬身と4分の1まで迫ったところがゴールだった。

単勝万馬券は有馬記念始まって以来始めてという、大波乱。イナリワンのもつレコードを1秒1も上回るタイムは、立派の一言。後々まで語り継がれる有馬記念となった。

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有馬記念後

このレース以降、調教師からの騎乗依頼の声も多くかかるようになり、G1も2つ、それもその2つ目が有馬記念ともなると、普通は平地オンリーになるのだが、熊沢はそれでも障害に乗り続ける。

そして、1993年には京都大障害で障害重賞の初勝利を収め、2012年には熊沢が「最も勝ちたいレース」であった中山大障害(G1)を制し、これで有馬記念と中山大障害という平地と障害両方のグランプリレースを制覇したことになった。

この記録は、ほかにも加賀武見などが成し遂げてはいるが、珍しい記録であって、グレード制が採用された以降の達成者は熊沢一人であり、おそらくこれからも達成する者は出てこないだろう。

また、障害だけでなく、平地においても2005年にはテイエムプリキュアで阪神JF(G1)に勝ち、ダイユウサク以来14年ぶりのG1を制覇しているのも素晴らしい。

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熊沢騎手の記録

2015年には、前人未到のダブル200勝を達成し、平地と障害二刀流騎手の頂点に立った。2016年には平地・障害の合計通算勝利数が1000勝を超えた事が評価され、JRA賞の特別賞を受賞した。

平地と障害という全く違う技術を必要とする競技において、そのどちらにも卓越した技術を持つ騎手は限られている。また、障害レースは危険も多く、平地で一定の実績を得た者は、通常は障害騎手免許は返上し、平地だけに専念することがほとんどである。

今でも熊沢騎手のほかに、高田潤、柴田大知、大庭和弥など、平地のG1レースに騎乗経験がありながら障害レースもコンスタントに騎乗する騎手はいるが、その数は少ない。

個性的な騎手の減るなか、二刀流という特技でファンを魅了する熊沢騎手のような騎手がどんどん出てきてほしい。後は、熊沢騎手のもうひとつの「最も勝ちたいレース」である「ダービー」を勝ち、二度と破られない「アンタッチャブル記録」を達成してほしい。

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