私のギャンブル履歴書~その1 ファイヤーバード!

私のギャンブル履歴書
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昭和61年

私が初めて触れたギャンブルと言うと、小学2年生から始めた「麻雀」となるが、いわゆる「家族麻雀」であり、なんとなく賭けていた覚えはあるが、ごく少額だったり、負けたら近所の売店までジュースを買いに行くといったものだったはずだ。

なので、メンコ遊びや、昭和44年生まれの私が小学6年生の時に流行った、牛乳の蓋を「パッ」と息を吹き掛けて裏返すとそれを貰えるといった「コロナ渦の今やったら追い出されそうな」遊びの延長に過ぎない。

とすると、本格的な「ギャンブル」といえば、高校2年生の時に2つ上の兄に連れて行かれた「パチスロ」が、その始まりということになる。時は昭和61年、流行語大賞は「究極」(美味しんぼ)で、金賞が「新人類」という、バブル経済の始まりの年とされる時代であった。

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カニ歩き

その兄というのが、いつどうやって始めたのかは知らないが、早いうちからパチスロを覚え、また動体視力が良かったのか目押しができたので、聞いた話だとコインを手に持って端の台から順に目押ししていけば、何処かで必ず当たるため、負け知らずだったとか。

そういえば就職までの間、スロで稼いだ金でバイクを買って車の免許も取っていた。そして、就職したら収入が減ったとも言っていた。

情報網が発達していなかった当時、リーチ目という概念もあまり知られておらず、「入って」いるのにそれに気付かずまた揃えられず、という状態の台が放置してあったりしたのだろう。

そんな兄であるが、今よりもおおらかな時代ではあったといえ、若いのがそうやって来る度に稼いでいくのは店にとっても常連にとっても面白い筈もなく、カニ歩きが禁止されたようで、私が一緒に行った頃は、もうプロでは無くなっていた。

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その頃のスロ屋

その兄が稼いでいたのは、今考えてみるとファイヤーバード7Uだったように思う。その店に赤と黄色の筐体が並んでいたのを覚えている。そしてあれだけ勝っていたことと、目押しができたことから、きっと600枚抜きもやっていたのだろう。

しかし、自分が最初に打った台は覚えておらず(何となくファイヤーバードじゃないような気がするのだ。)、覚えているのは床が木製だったこと、コインを買うのは台と台の間のコインサンドではなく、シマの端にある両替機で借りていたことだけである。

そして、当たったとか勝ったという思い出もなく、面白かったという記憶もない。

そういう意味では、私が覚えている「打って楽しかった台」こそが、最初の台と言えるが、それこそが私の本格的ギャンブルとなる最初のパチスロ、名機「バニーガール」である。

続く

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