私の競馬履歴書~その4「シャダイカグラ」

私の競馬履歴書
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1991年桜花賞

今やレジェンドと言われ、G1を100勝以上している武豊に、桜花賞で最初の牝馬クラシック勝利をもたらし、「武豊の恋人」とも言われた強く美しい牝馬、それが「シャダイカグラ」である。ペガサスステークスで牡馬を押さえて勝利し、桜花賞を勝ちオークスを2着した強い馬というだけでなく、伝説となった桜花賞での出遅れや、引退レースだったエリザベス女王杯で1番人気に推されるも、レース中の怪我により最下位となるなど、何かと印象に残る馬であった。

まずはシャダイカグラという名前のもつ強く美しい響き。香港風に感じにすれば「社台神楽」だろうか。社台の馬ではないため「社台」の漢字を振るのはどうかと思うが、父のリアルシャダイのシャダイが、紛うとことなき「社台」なので、まあよかろう。なお、「カグラ」は、馬主である米田茂がかつて所有し桜花賞にも出走した「ミスカグラ」から来ている。

その「伝説」とされた桜花賞、シャダイカグラは圧倒的人気のため単枠指定(注)となり、しかも抽選で大外の8枠を引いてしまったが、当時(現阪神競馬場の改装前)は阪神のマイルの大外は0.5秒は違うと言われるほどの不利のある枠であり、苦戦することが予想された。

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レジェンド

そのような状況で、デビュー3年目の武豊の騎乗に注目が集まる中、シャダイカグラはなんと出遅れてしまう。悲鳴にも似た歓声が上がるが、最短距離となるラチ沿いを進み、最終コーナーではスッと5,6番手につき、ゴール前で抜け出してアタマ差の勝利を遂げ、今度は本物の大歓声が上がる。

注)単枠指定とは、枠連しか無かった当時、「人気の枠から馬券を買ったところ、その枠の人気馬が出走取消となった際、残った人気薄馬に期待するしかない状態」の解消のため、あらかじめ圧倒的人気が予想される馬を「単枠指定」とし、1頭で1枠とする制度。

レース後、その出遅れについて、ファンの間では「武豊がワザと出遅れた」などと噂され、また本人が特に言及しなかったこともあり、あっという間に伝説化されてしまった。当時、武豊はデビュー3年目だったが、2年目の昨年、113勝し史上最年少(19歳)での関西リーディングに輝いており、「武邦彦の息子」との認識から「武邦彦は武豊の父」と逆転されつつある時で、「天才」と言われる頃であった。

後に、オグリキャップの引退レースでの勝利や、ディープインパクトでの3冠達成など、多くの偉業を成し「レジェンド」と言われる武豊であるが、その伝説の始まりが、このシャダイカグラの桜花賞だった。

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戎橋のマクド

シャダイカグラは、オークスを惜しい2着に敗れた後の休養開け緒戦、ローズSを単勝1.6倍の人気に応えて快勝。続くエリザベス女王杯(当時、秋華賞はまだなく、同レースが4歳牝馬(現3歳)の3冠最終レースとされていた)において大本命となることが予想された。

しかし、この頃から両前脚にバンテージを巻いた上、強い調教が行えなくなっており、さらにこのエリザベス女王杯での引退が発表された事で、脚部不安説がレース前から囁かれていた。それでも単勝2.2倍の1番人気となっていたが、この年から競馬を始めた私は、噂とオッズを前ににらめっこし、マクドナルドのテーブル席で、一人頭を抱えていた。

余談だが、そのマクドナルドは今も存在する。大阪・難波の戎橋通、今も行列のできる551蓬莱の豚まん売場と同じく蓬莱の食堂の間にあるマクドで、当時は近くのジンラミ(ジンラミィ?)でパチスロ、千成屋で海外の食料品(オイルサーディンとか、POPEYEのスティックポテトなど)を購入などしていた記憶がある。

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サンドピアリス

うんうんと唸っているが、そろそろ難波の場外馬券売場に行かなくてはいけない。「こうなったら、適当に買うか。マクドの赤と黄色と飲んでるオレンジジュースの3,5,7枠のボックスでどうや。」、馬連などもない当時、馬券と言えば枠連だった時代で、こういうケントク買いはよく行われていた。

しかし、競馬を始めたばかりで、その恐ろしさを知らない新人の私は、我が直感と単勝2.2倍を信じ、シャダイカグラが単枠指定された8枠からの流し馬券を購入した。

結果、シャダイカグラは3コーナーからズブズブと遅れていき、大差の最下位で入線。右前脚の繋靱帯断裂が判明した。重傷であったが幸いな事に予後不良には至らなかったものの、残念な引退レースとなってしまった。

難波の場外で私は呆然と立ち尽くし、「結局、3-7で8,460円か。」と独りごち、残っていたオレンジジュースを飲み干した。

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