私の競馬履歴書~その5「初ダービーと関西の秘密兵器」

私の競馬履歴書
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1989年

私の初ダービーは、1989年。1番人気は、未勝利、フリージア賞(400万下)、若草Sを3連勝し、このレースに挑む「関西の秘密兵器」、ベテラン河内洋騎乗のロングシンホニー。今では考えられないが、当時は「東高西低」の時代でありクラシックやG1レースは、ほとんど関東馬が制していて、関西馬は明らかに格下と見られていた。そんな状況下で関西の期待もあって、毎年のように「関西の秘密兵器」がダービーに挑戦し、毎年のように負けていた。

この頃、本当に関東馬は強く、1973年から1988年までの16年間で実に13回、1983年から昨年まで6年連続関東馬が勝利している。なお、1991年のトウカイテイオーからは、全く状況が変わり、逆にその年から6年連続で関西馬がダービー馬となっている。その傾向は今も続いており、1991年から2022年までの32年間で、なんと28頭が関西馬がダービーを勝利し、完全に「西高東低」の時代となっている。

そんな関西の期待を一身に背負ったロングシンホニーであるが、このダービーが重賞初挑戦ということもあって、1番人気とはいえ単勝オッズは6.0倍。2番人気は共同通信杯を勝ちNHK杯で3着となったマイネルブレーで、単勝6.1倍。3番人気が単勝7.3倍の皐月賞2着馬、ウィナーズサークル。

普通なら人気を背負う皐月賞馬のドクタースパートは、皐月賞が不良馬場であったことなどから4番人気(単勝8.7倍)、5番人気が単勝9.9倍のサクラホクトオーと、驚くような大混戦だった。

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大混戦の理由

ここで、この年のダービーがまれに見る大混戦となった理由と、その理由のひとつであるサクラホクトオーについて少し説明したい。サクラホクトオー、名前だけでも強そうな雰囲気だが、まずは当時最強だった「サクラ」の冠号がついていて、それに横綱「北勝海(ほくとうみ)」のホクトと王様の「オー」という最強の組み合わせ。

半兄のサクラチヨノオー(横綱千代の富士が由来)は前年のダービー馬で、期待された弟サクラホクトオーはというと、新馬戦、府中3歳S(レコード勝ち)、朝日杯3歳Sを3連勝し無傷でG1馬となったから、兄を超える逸材ではないかと相当な評価と人気を受けていた。

4歳(現3歳)となった休養明けの初戦は、皐月賞へ向けた王道の弥生賞。単枠指定となるダントツの1番人気で、単勝は1.4倍だったが、超のつくような不良馬場であり、スピードが命のサクラホクトオーにとっては厳しい舞台だった。結果は12着といいところなく惨敗。なお、この時の勝ち馬が「雨の鬼」レインボーアンバーである。ちなみに勝ちタイムは2分7秒7というから、いかに酷い馬場であったかが分かる。

続く皐月賞でも単勝3.0倍の1番人気に押されたが、またしても不良馬場に泣かされ実質最下位の19着(1頭競走中止)となる。そして迎えたダービーでは、流石に5番人気と人気を落としていた。もし、不良馬場でなかったら、サクラホクトオーが皐月賞でいいレースをしていたら、ダービーの1番人気は文句なくサクラホクトオーだったであろう。

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サクラホクトオー

なお、サクラホクトオーはその後、セントライト記念を勝ち、菊花賞5着、有馬記念3着と力のあるところを見せ、古馬となった明け5歳(現4歳)初戦のG2、AJCCで単勝1.5倍の人気に応え勝利し、本来の力で超一流馬への道を進むかに見えた。

しかし、天皇賞へ向かう前哨戦の大阪杯(当時はG2)で武豊騎乗のスーパークリーク(1着)と対決するも7着に敗れ、本番の天皇賞でもいいところなく14着に惨敗してしまう。その後は長期休養後、重賞を2戦戦うも9着、15着と以前の面影はなく、そのまま引退となった。

1989年春の雨と不良馬場によって、サクラホクトオーは本来の走る力、走る気持ちを失ってしまったのだろう。また、彼の場合、不良馬場の脚元だけでなく、雨そのものが嫌だったのではないかと思う。そのせいか、今でも私が予想する際には、雨が降り出したばかりの良馬場でも、雨に弱い馬がいるという考えから、その点も考慮するようになった。

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芦毛のダービー馬

ダービーに戻ろう。この大混戦のダービーを制したのは、3番人気のウィナーズサークル。皐月賞2着からの雪辱を果たした。初の茨木県産、芦毛、芝未勝利であり、かつ全て2022年現在、唯一の茨木県産、芦毛、芝未勝利のダービー馬である。

軍馬改良の目的で始まった日本競馬では、戦場で目立つなどの理由から芦毛馬は敬遠され、弱いと思われていた。そして、日本の競馬史上、強い芦毛馬は誕生しておらず、競馬においても芦毛馬は低く見られていた。

しかし、前年の1988年、覚醒したタマモクロスがG1を3勝し、追いかけるオグリキャップが有馬記念を勝ち、日本競馬界には芦毛旋風が吹き荒れており、弱いどころか「芦毛最強説」まで飛び出す始末であった。

そして、この年、とうとう芦毛馬によるダービー制覇がなされ、勝ったウィナーズサークルには注目が集まったが、ダービー後はわずか2戦(京都新聞杯4着、菊花賞10着)し、怪我により引退する。そのため、「初、唯一、芦毛」などの要素が有りながら、私の「初ダービー馬」は、最も地味なダービー馬となってしまった。

ちなみに、馬券のほうは、関西の秘密兵器から買って惨敗した。

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