競馬場の高齢化と近代化

競馬

久しぶりの京都競馬場

私が競馬に最もハマっていた平成一桁台の頃、競馬場には活気が溢れていた。もちろん、ブームであった熱狂をみんなが感じていることによる活気もあったが、やはりあの頃のファンは若かった。

私も20代だったが、当時は同じ年代の客も多かった。今の客層はと言うと、その頃の若者がそのまま50代となっているだけであって、新たにファンとなったと思(おぼ)しき、20代30代といった若い客を見ることは本当に少ない。

そして、久しぶりに行った京都競馬場は、当時からおじさんだった世代がおじいさんとなって屯(たむろ)しており、一見老人ホームかと思うほど年寄りばかりだった。

ただ、タブレットでデータを見たり、スマホでスマッピー投票したりする老猛者も結構いるようで、高齢者のIT化は競馬を通じて行うのが効果的ではないかと思えるほどであった。

改装中

そんな京都競馬場であるが、現在改装中であり、本来は開催の時期であるところ、今はWINSと化している。その改装部分がチラホラ見えるのであるが、私たちの馬券の一部から作られる建物の綺麗で見事なこと。

客層が高齢化し古ぼけてきているのとは逆に、建物と券売機は新しく近代的で、そのギャップに感銘するとともに、この近代化、IT化にご老人達がついていけているのかと心配にもなる。そんな中、慣れないであろう電子機器を駆使する老人達の逞しい姿にホッとする。

私も近いうちにそれらご老人の仲間となるのだが、それまでに少しでも馬を見る目を育て、一方ではIT機器を駆使し、馬券力の向上に努めたいと思う。しかし、ここのお客さんはおとなしい。

私の若い頃のジジイは、まあ、特によく行っていた難波の馬券売り場のイメージが強いからか、そりゃあ、ひどかった。そこは日本のスラム、釜が崎に近く、薄汚いおっさんばかりで、マナーも言葉も酷かった。

難波と阪神の冬

当時はまだマークシートなどなく窓口での口頭発売で、馬券発売の締切も今とは違い発走10分とか5分前であったこともあり、締切間際には「はよせえ!」や「お前、次のレースやったら後で買えや!」などと、いつも怒号が飛び交っていた。

レースの後は、まるで人生を賭けていたかのごとく、握りしめた外れ馬券を捨てるおっさん。一体幾ら賭けたのかとチラリと見てみると、渾身の枠連2点3-6と5-8が100円ずつ。たったの200円かよ。それと、その買い方よ。

そういう私も定職に就いてる分、流石に1,000円単位で勝負できているが、それも午前まで。午後からはこのおっさんと同じくかき集めた小銭で100円単位の勝負をしているから、同じ事。10円20枚とかで200円分買うのが恥ずかしいのよね。

暮れの阪神、吹き付ける強風が財布の寒さを倍増させるのだが、そこで食べた自販機で買ったカップヌードルの旨いこと。それが昼飯で、晩飯は当然抜きだ。何故なら電車賃を残して、あとは全部突っ込んでしまうから。そして、それが当たらないから。

時代は回る

近代化と施設が綺麗になるのもいいが、あの汚かった阪神競馬場と、仁川駅からそこに至るオケラ街道も良かったなぁ。ピカピカの建物ではすっからかんになった心を癒やせない、というか何だか騙されたような気分になる。

金は無い、寒いし風は強い。そんな男に似合うのはやはりゴミ溜めのような汚い小道であって、小綺麗な渡り廊下ではないんだなぁ。そんな小綺麗な道にいるのは、なんだか金の無いしょぼい男に寄ってくるきらきらの美女のようで、そりゃ欺しにきてるとしか思えない。

その頃私はまだ20代で、競馬場にたむろしているおっさんが怖いというか、少し距離を置いてみていたものだが、そんなおっさん達と一緒にレースを見て共感するのが、何か大人の仲間入りをしているようで嬉しかったのを覚えている。

ただ、酒臭く歯の抜けた汚いおっさんを見て「こうなっちゃいけない。」と思っていたことも覚えているが、今の私の仕上がり具合は、ズバリその時のおっさんと何ら変わりない。時代は回っている。

今日は外れた馬券達も、生まれ変わって当たり出すよ。ってか。

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