角田晃一〜最後の勝負師

騎手列伝
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「はぶ」と「はにゅう」

「羽生」と書いて何と読むか。平成の初め頃なら、ほとんどの人が「はぶ」と答えたであろう。今でも第一線で活躍する棋士、羽生善治がタイトルを独占し7冠王になったのが平成8年(1996年)である。

しかし、令和になった今、「羽生」と書けばほとんどの人が「はにゅう」と読むであろう。2018年に最年少(23歳)で国民栄誉賞を受賞した、ソチ・平昌オリンピックの金メダリスト、羽生結弦の「はにゅう」である。

ちなみに、羽生善治も同じ2018年に国民栄誉賞を受賞している。平成の天才と言われた、羽生善治、イチロー、武豊。羽生善治が受賞し、イチローが3度辞退した国民栄誉賞であるが、武豊が受賞するとしたら、凱旋門賞を勝った時だろうか。

さて、「羽生」に限らず苗字の漢字というのは、それぞれの時代で活躍した人の名前で読まれる事が多いが、将棋とフィギュアスケートという掛け離れた世界の第一人者が同じ漢字というのも、凄い偶然である。

なお、どちらも苗字の由来は埴生(はにふ、はにゅう、ハニワを作る赤土)から来ており、「はぶ」は種子島や屋久島、「はにゅう」は宮城県に多く見られる。実際に、羽生善治の祖父は種子島出身で、羽生結弦の父は宮城県の登米市(羽生姓の多いところ)の出身だという。

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その名は「つのだ」

では、「角田」と書かれていたら、何と読むか。やはり、多いのは空手家の角田信朗(かくたのぶろう)の「かくた」だろうか。しかし、私を含めた平成の競馬ファンなら、確実に「つのだ」と呼ぶ。そう、今は調教師として活躍する、ダービージョッキー角田晃一(つのだこういち)の「つのだ」である。

なお、「メリー・ジェーン」が有名なミュージシャン、「つのだ☆ひろ」と「空手バカ一代」「恐怖新聞」のヒット作がある漫画家「つのだじろう」兄弟の「つのだ」も「角田」だ。

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順調な騎手生活

競馬とは全く無縁の環境ながら、身体能力が高いが小柄な事から、父の勧めもあり競馬学校に入り、渡辺栄厩舎のの所属騎手として1989年にデビュー。所属厩舎の馬だけでなく、他厩舎の馬にも乗れるよう手配するなど調教師の支援もあり、43勝を挙げJRA最多勝利新人騎手を受賞する。

同期には今でも現役として活躍する田中勝春(初年度は5勝)、競馬評論家となった佐藤哲三(同8勝)がいる。なお、2年前の1987年の新人賞はあの武豊であり、前年である1988年の新人賞が、落馬事故により惜しくも殉職した岡潤一郎である。

新人賞に輝き最高のデビューを果たした角田晃一は、早くも3年目にはシスタートウショウの桜花賞でG1勝ちを収め、1994年にはノースフライトに騎乗して安田記念・マイルCSを制覇するなど、その後も順調な騎手生活を送る。

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シスタートウショウ

角田晃一に初のG1勝利をもたらしたシスタートウショウは、その後オークスで2着となった後に屈腱炎を発症、1年半の休養からの復帰後は安田記念で4着になるなど善戦するも、全盛期の強さは戻ることは無かった。

しかし、同馬唯一のG1勝利となった桜花賞は史上ハイレベルと言われたレースで、シスタートウショウのほか、イソノルーブル(桜花賞1番人気も落鉄もあり5着、オークスの覇者)、ノーザンドライバー(最優秀2歳牝馬)、スカーレットブーケ(ダイワメジャー、ダイワスカーレットの母)、タニノクリスタル(タニノギムレットの母)、リンデンリリー(エリザベス女王杯の勝馬)と、錚々たるメンバーであった。

そんな中、桜花賞では落ち着いた騎乗で勝利し、1番人気となったオークスでは、出遅れるも取り乱すことなく最後方から直線追い込んで2着になるなど、角田晃一は後に大舞台に強いと言われる片鱗を既に見せていた。

角田晃一のG1初騎乗は、デビューした1989年の秋のエリザベス女王杯であるが、この時も14番人気のシンビクトリーで3着(勝馬は、岸滋彦騎乗の20番人気サンドピアリス)に入り、大レースに強いところを見せている。

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牝馬の角田

その後しばらくは、シスタートウショウやノースフライトと牝馬での活躍が多く、「牝馬の角田」と言われ、大レースと牝馬でのレースでは特に注目されていた。1995年には牡馬のヒシアケボノでスプリンターズを制し、「牝馬の角田」だけでは無いことを示している。

2年先輩となる武豊や、2年後輩となる藤田伸二・四位洋文に挟まれ、目立たない世代であったが、当時は1年先輩の「岡潤一郎」「岸滋彦」と共に関西期待の若手であった。

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フジキセキとの出会い

その頃、角田晃一は騎手人生を変えるような名馬に出会っている。それは幻の三冠馬「フジキセキ」である。デビュー戦は新潟の芝1200mで、鞍上は蛯名正義。スタートで大きく出遅れるも、直線前で先行集団に取り付き、最後は8馬身差の圧勝。デビュー前の評判どおりのレースを見せた。

2戦目からは、厩舎(渡辺栄)所属の角田晃一に乗り替わる。その2戦目となる「もみじS」では、馬なりのままレコードタイムで圧勝。2着馬は、後にダービー馬となるタヤスツヨシであった。両馬とも、父は日本の競馬界を一変させることになる大種牡馬、サンデーサイレンスであり、両馬はその初年度産駒であった。

3戦目の朝日杯3歳Sでは、後に日本馬初のケンタッキーダービー出走馬となるスキーキャプテンの追撃を交わし、クビ差の勝利。僅差の勝利ではあったが、角田はムチを入れておらず、「楽勝でした」とコメントしている。

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早すぎる引退

翌1995年の初戦は、皐月賞トライアルの弥生賞。16kg増で挑んだこの1戦、直線でホッカイルソーに並ばれ交わされかけるも、そこからは異次元の脚を見せ、結局は2馬身半をつけ勝利を収める。この時点で三冠間違いなしとまで言われるようになったその矢先、屈腱炎を発症し、そのまま引退となってしまう。

弥生賞でのパフォーマンスが「弱い相手の割には、低かった。」と言われる事や、思った程の種牡馬成績を収めなかったことから、クラシックでの成績は期待ほどではなかった可能性もあるが、角田も「菊花賞までは分からないが、皐月・ダービーは大丈夫だったのでは。」との手応えを感じていたように、少なくとも2冠は達成していたのではないかと思われる。

フジキセキが無事で、角田晃一とのコンビで大活躍をしていたとしたら、タマモクロスとの出会いにより騎手としての階段を駆け上がった南井克己のように、角田晃一も競馬史に残るような大騎手になっていたかもしれない。

しかし、そこで終わらないのが、勝負師角田の真骨頂である。2001年に競馬の頂点であるダービーをジャングルポケットで制し、ダービージョッキーとなる。更には翌2002年には人気薄のヒシミラクルで菊花賞を勝つが、この「ヒシミラクル」は、ある事で競馬界を超えた話題となったが、その鞍上が角田晃一であったことは一般にはあまり知られていない。

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ミラクルおじさん

2003年の宝塚記念で、ある大口投票が話題となる。前日投票の土曜日の11時ころ、ウインズ新橋においてある中年男性が、安田記念の単勝馬券(勝馬アグネスデジタル)の馬券を換金する。

その馬券は、9.4倍ついたアグネスデジタルの単勝を130万円買ったもので、換金額は130万円×9.4倍=1,222万円に及び、これだけでも相当凄いのであるが、その男性はその1,222万円を、宝塚記念のヒシミラクルの単勝に全て突っ込んだというのだ。

その際、9.7倍あったヒシミラクルの単勝は1.7倍まで下がったという。その後、ヒシミラクルのオッズは6番人気(16.3倍)に落ち着いた。馬券が当たれば、配当金は1億9,918万6千円である。

なお、このレースの1番人気は、前年にダービーは惜しくも2着に敗れるも、3歳にして秋の天皇賞と有馬記念を制し年度代表馬になった、単勝2.1倍(最終オッズ)のシンボリクリスエスであった。

対するヒシミラクルは最終オッズの16.3倍が示すように、前年の菊花賞と前走の春の天皇賞を勝っているものの、距離不足が懸念され(そもそも春の天皇賞も7番人気での勝利であり、まだまだフロックと見られていた。)、この宝塚記念は厳しいとの見方が大勢であった。

しかし、レースでは先行した人気馬が伸びを欠くなか、いつもの3コーナーあたりからの長いマクリでなく直線勝負をかけたヒシミラクルと角田晃一は、ツルマルボーイとの一騎打ちを制し、G1連覇を果たす。

この大口投票をした「ミラクルおじさん」の話は鞍上の角田にも伝わっており、レース後のインタビューで「僕以上の勝負師ですね。」と答えたという。確かに「ミラクルおじさん」は凄い勝負師であるが、それを知りながらケロリとして勝った角田も相当の勝負師である。

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角田晃一を継ぐ者

角田という騎手は、馬の瞬発力を武器に戦うよりは、ヒシミラクルに代表されるように「スブい馬」をもたせる技術に長けていたように思われる一方、ノースフライトやヒシアケボノによって短距離G1を多く制しており、総合的な能力は高かったように思われる。

ただし、平場では集中力に欠けるようなところもあって勝ち星には繋がらず、G1勝ちの多さに比して通算勝ち星は少ない。見た目の華奢さやスマートさとは裏腹に、かなりの個性派であり勝負師であった。

所属厩舎である渡辺栄厩舎の定年解散後は、騎乗数も減り目だった活躍も減ってしまったが、2007年には初代サマージョッキーズシリーズのチャンピオンになっているなど、勝負強いところを見せた。

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最後の勝負師

同期の田中勝春が1777勝(2019年11月25日現在)に対してG1が2勝のところ、角田晃一は通算713勝に対してG1は10勝。また、その10勝は全部違うG1であって同じG1で2勝していないというのも、彼らしい。

G1での勝負強さや決め打ちタイプという点から、池添謙一(前同日現在、G1は25勝)と比べられることが多いが、池添がデュランダルのような切れ味鋭い馬での差し追い込みが得意であるのに対し、角田はヒシミラクルのようなジリ脚でズブいスタミナの塊を走らせる事を得意と、正反対であった。

現在、角田のような職人タイプの勝負師といった騎手はほぼ皆無に等しく、本命でも穴でも買えて、胸のすくようなレースをする騎手というのも居なくなった。

これは外人に席巻されている現状と、騎手を育てるために使い続けるといった気概のある調教師が減っていることから、解消されることはないだろう。

ひとつ希望があるとすれば、現在競馬学校に在籍している、角田晃一の長男大和と次男大河。この二人がダービージョッキーである父の後を継ぎ、競馬場をアッと言わせるミラクルを見せてくれるかもしれない。

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