30~40年前の日本橋

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電気屋街

日本橋といっても五街道の起点となる東京の日本橋ではなく、大阪の日本橋の電気屋街である。東京の日本橋は「にほんばし」であり、大阪の日本橋は「にっぽんばし」らしいが、大阪人の私は大阪の電気屋街を「にほんばし」と読んでいた。

電化製品やゲームが好きだった私は、その日本橋に、早くは40年前となる中学生ころからよく行っていた。特に中学3年の冬にファミコンを買ってからは、月に1度は日本橋に向かい1日中うろついていた。

何せ30~40年前ほどのことでもあり、断片的にしか覚えておらず、時系列も前後しているかもしれないので、間違いや矛盾があるかもしれないが、とりあえず覚えていることを書いていき、あの頃の雰囲気や空気を思い出してみたい。

ダブルラジカセ

関西人なら誰もが知っている、来た見た買うたの喜多商店(字合ってる?)と、確かその近く(隣?)にあったカセットテープ屋によく行っていた。当時、倍速でダビングできるダブルラジカセが流行っており、ラジカセを喜多商店で買い、カセットテープをその近くのテープ屋でいつも調達していた。

カセットはTDKかマクセルの10本入りで、金のある時はメタルかクロームを買っていた。そして、当時、順次CD化されていたビートルズのアルバム全曲を、CD化記念によりラジオで流していたのを録音し、ダブルラジカセを使って自分でベストアルバムを作っていた。

そのラジカセは、当時バカ売れしたサンヨーの赤いダブルラジカセだったと思う。もちろん、喜多商店での購入の際には、「カセット10本付けてくれたら、今日買うわ。」「ほな、つけまひょ。」「やったら買いますわ。ただ、最後に端数、勉強してくれへん?」と、おまけをつけてもらうのと端数の値切りをやったのは当然である。

X1

今や電気屋の店先はスマホと相場が決まっているが、当時(1980年代)、電気屋が表に出していたのはパソコンとモニターで、とくにテレビ画面に文字を映し出せるシャープのX1というパソコンの赤い筐体がひときわ目立っていた。

当時、パソコンと言えばNECのPC8000シリーズ、富士通のFMシリーズ、そしてMZシリーズを始めとするシャープのXシリーズが3大パソコンメーカーであり、Oh!MZなどという専門誌も出版されていた。そこにMSXがパソコンというよりゲーム機として参入するのだが、そのうちNECの1強になり、それももう昔の話。

ちなみに、私のパソコン歴は、PC-6001(NEC)→X68000(SHARP)→VersaPro(NEC)→VAIO(SONY)→MacbookAirで、今はiMacを使っている。思い出のパソコンゲームは、AX-5のオリオンとクエスト、X68000の源平討魔伝といったところか。

ジャケ買い

日本橋には、ゲームだけでなくCDもよく買いに行っていた。もちろん、ダブルラジカセの5年ほどあとの時代である。基本はナンバの戎橋通りの入り口近くの地下にできたタワーレコードで安い輸入盤を買っていたのだが、国内盤は日本橋で買うことが多かった。

なお、その頃、私は洋楽しか聞いておらず、当然、購入するCDも洋楽。基本的にアイアンメイデンからワム!までと言った具合に何でも聞く。ちなみに好きなアーティストはプリンス、エルヴィス・コステロ、ストロークスといったあたり。もし、無人島に1枚だけCDを持って行けるなら、ライ・クーダーのチキン・スキン・ミュージックかな。

そんな私が日本橋でジャケ買いして成功したのが、ザ・ザのMIND BOMBと、当時、今ほど神格化されていないレッド・ホット・チリ・ペッパーズのBLOOD SUGAR SEX & MASICである。

なんだか、取り留めない文章になったが、書いているうちにその頃の風景が目に浮かんで楽しく懐かしい。そろそろ棺桶に片足突っ込んでるような歳になったし、人生を振り返るのも悪くない。

クインティ

最後にひとつ、これを書きながら浮かんできた景色を。今はゲーム内でのチュートリアルに取って替わったが,昔は操作説明やゲームのストーリーは、カセットに同梱された小冊子に全て書いてあった。

その小冊子を日本橋から家路に着く電車のなかで、実際のゲームを想像しながら読んでいるときのワクワク感、これは今でも覚えている。中でも全く事前情報無しに、パッケージのイラストから面白そうと選んで買った「クインティ」が、説明書だけでもワクワクし、それ以上に実際のゲームが面白く、今考えれば贅沢だったなぁと思う。

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