私の競馬履歴書~その1「初馬券」

私の競馬履歴書
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恋のからくり

今や300年に1人の俳優ではなく、10年に2人くらいは居そうなタレントとして跋扈する梅沢富美男だが、今の若い人はその梅沢富美男が「下町の玉三郎」と呼ばれ、大衆演劇の舞台役者として、それも女形(おんながた)として絶大な人気を誇ったことや、彼が歌った「夢芝居」(作詞・作曲小椋佳)がヒットし、同曲で紅白に出場したことは知らないだろう。

その「夢芝居」の発売が1982年というから、梅沢富美男が32歳。その若さで既に人気役者となっているのだが、私はというと当時13歳と、まだ競馬の毛の字も知らない純真無垢な少年だったわけだ。

ちなみに1982年のダービーを勝ったのは、関西では知られた馬主兼生産者である「バンブー牧場」(代表者「竹」田辰一、2代目竹田辰紀)のバンブーアトラスだった。なお、1番人気は皐月賞馬のアズマハンターというから、こちらはチト地味な世代ではある。

その「夢芝居」の最後の歌詞「恋はいつでも初舞台」というのが、何故か当時から頭について離れないのだが、馬券のほうも、初心忘れるべからずで、いつも「初馬券」の気持ちで買おうと思ってはいるが、年を経て当てたい気持ちや銭勘定が勝ってしまい、残るのは下品なハズレ馬券ばかりである。

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初馬券

そんな私の初馬券は、平成元年(1989年)の春の天皇賞である。当時は、まだ天皇誕生日である4月29日(土)に固定して行われている時代であり、馬券のほうも単勝、複勝、枠連しかない頃である。

1番人気は岡部幸雄騎乗のスルーオダイナ。競馬を始めたばかりの私でも、岡部騎手が第一人者であることはうっすら知っており、「ダイナ」の馬が強いというのも聞いたことがあった。

そのスルーオダイナの2枠から、3枠ほど流して買ったような記憶がある。結果、スルーオダイナは3着で、馬券はハズレ。天皇賞を制したのは、当時デビュー3年目で売り出し中の武豊が騎乗する地方出身の野武士イナリワン。2着には16番人気のおっさんこと河内洋騎乗のミスターシクレノン。

超人気薄が2着に来たにもかかわらず、同枠に3番人気のコクサイトリプルいたため、払戻は枠連1-7で3,320円しかつかなかった。なお、私は3,000円負けたのだが、同い年の武豊は1着賞金7,800万円の5%である3,900,000円をものの3分少しでゲットしている。

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それから

ビギナーズラックもなく、その後も負け続けている訳であるが、それでも競馬と馬券の魅力は新鮮であって最初のレースと変わらない。もちろん、私も年を経て多少はついた経済力に伴い、負ける額も大きくなり、馬券も種類も増えて買い方も変わってはいる。

と、綺麗にしめたいところだが、やはり年齢とともに感受性も新陳代謝も悪くなっているから、感動は薄れ身体は醜く太るだけである。それに競馬にだけ時間を使えるほど、余裕のある生活を送れちゃいない。

もう一度、競馬にどっぷり浸かってみたいものだ。

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