遅咲きの大輪~南井克巳とタマモクロス

騎手列伝
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80年代の関西競馬

80年代の関西を代表する騎手といえば、河内洋と田原成貴である。冷静で堅実な「いぶし銀」河内洋と、派手でトリッキーな「破天荒」田原成貴、この対照的な2人が1980年から1986年までの関西リーディングを分け合い、80,85,86年には河内が、83,84年には田原が全国リーディングジョッキーに輝いている。

その後、1988年からは武豊の1強時代となり、2001年の四位洋文を除き2009年まで、関西リーディングジョッキーは武豊が独占することとなる。1986年までの河内・田原の2強と1988年からの武豊の独占時代の狭間となる1987年に、その騎手としてのキャリア唯一の関西リーディングを獲った騎手、それが「剛腕」南井克巳である。

河内(74年、26勝)、田原(78年、28勝)、武豊(87年、69勝)の3名は、後の活躍を約束するように、いずれも関西新人賞(中央競馬関西放送記者クラブ賞)を受賞しており、その後何度もリーディングジョッキーに輝いている。

しかし、私にとっては意外だったのだが、南井克巳も70年に20勝(平地15勝、障害5勝)をあげ新人賞となっていた。

74年に新人賞となった河内洋は、80年には25歳にして全国リーディングを獲るまでに成長する。一方、河内から遡ること4年前の新人賞だった南井は、その後20勝から30勝の勝ち星を上げるに留まり、河内が全国リーディング(72勝)を獲った80年の勝ち星は、その半分にも満たない31勝であった。

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宇田調教師との出会い

南井は、78年には工藤調教師の所属を離れたこともあり8勝しか上げておらず、当時は引退まで考えていたというが、そんな南井の境遇を見かねた宇田調教師が声を掛け、以降は同厩舎の所属となる。

宇田師との出会いにより、騎手としての楽しさを思い出し競馬への情熱を取り戻した南井は、その時の恩義を忘れず、宇田師亡きあとも宇田厩舎の調教服であった黄色の調教服を着続けており、それは今では南井厩舎の調教服となっている。いかにも感情屋の南井らしいエピソードである。

その後、中堅騎手として30勝前後の勝ち星を上げながら着実に実力と信頼を積み上げ、徐々に騎乗数も勝ち星も増えていった。1984年には61勝、85年には74勝、86年には73勝とそれまでの倍近い勝ち星を重ねるまで成長する。

そして1987年、騎乗依頼を受けたある馬の活躍とともに、南井は騎手としての階段を一気に駆け上がる。その馬こそ南井と同じ遅咲きの大輪、「白い稲妻」タマモクロスである。

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タマモクロスという奇跡

それまでダートを6戦、芝を2戦するも、勝ったのはダートでの1勝という成績のタマモクロスは、近走ダートで2着,3着,3着と勝ち切れていないことから、「これでダメなら考えよう」と使ってみた芝の2200mのレースで、今までの成績が嘘のように6馬身差で快勝する。

そのレースの勝ちタイムは、その日行われた同条件の菊花賞トライアル、京都新聞杯より速かったという。次のレースは400万下条件の特別戦、藤森特別(京都芝の2000m)で、この時は松永幹夫が騎乗し8馬身差で勝ち、「菊花賞の秘密兵器」などと言われるようになる。

しかし、先を考え無理をさせないことにした小原調教師は菊花賞には出走させず、年末の鳴尾記念で格上ながら重賞初挑戦をすることに決めた。なお、この鳴尾記念以降、引退まで鞍上は南井が務めることになる。

鳴尾記念、そして明けた新年初戦の金杯を勝ち、続く阪神大賞典はダイナカーペンターとの1位同着。この金杯と阪神大賞典は、ともに危うい勝利であった。直線で前が塞がり行き場を無くすも、内を突きなんとか勝利する。南井らしいといえば、らしい勝利である。

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南井克巳という奇跡

田原に「下手なのは間違いない。なのにあれだけ勝てる。分からない。」と言わしめ、小島太も「彼の追い方は馬の行く気を掻き立てるものではない。下手だという者もいる。しかし、彼は勝ち方を知っている。」「あの追い方では馬は伸びないと油断させておいて、まんまと逃げきる。」と言っている。

私も見ていて「上手い」と思ったことはない。やはり上手い騎手でないことは確かなのだろう。しかし「凄い」と思ったことは何度もある。田原も気魄と仕掛けの上手さは認めていたという。また、馬券にはならなくとも満足させてくれる数少ない乗り手だったように思う。

話を戻そう。阪神大賞典で5連勝、重賞3連勝で挑んだ春の天皇賞は、また内をついての3馬身差の勝利。これが人馬ともにG1初勝利。南井はデビュー17年目にして初のG1勝利であった。

後のインタビューで南井は、初勝利に17年もかかったG1を、その後多く勝つようになった事を問われこう答えている。

「GIで勝ったからとか、リーディングを獲ったからといって、人間としてどれだけの価値があるというんですか。(それまでは)GIで本命になる馬に乗っていなかっただけの話じゃないですか。チャンスのある馬に何回か乗れば、誰でも勝てるのがGIですよ。」

含蓄のあるようにも、皮肉とも取れるようでもある不思議な回答であるが、率直に答えているところが南井らしいと思う。真意は分からないが、人間としての価値を勝利や名誉でないところに置いていることと、勝ち負けは上手い下手ではないという事が言いたいことは分かる。

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頂点を極めた人と馬

タマモクロスと南井は、天皇賞で初のG1勝利を収めた後、宝塚記念、秋の天皇賞と続けて勝利し、これで8連勝(重賞6連勝。G1は3連勝)となった。昨年は条件馬とG1未勝利の中堅騎手だったのが、これでもう歴史的名馬でありトップジョッキーである。

タマモクロスはその後、ジャパンカップと有馬記念を共に2着として引退。年度代表馬に選ばれた。南井はその年の関西リーディングジョッキーとなった。

遅咲きの騎手が遅咲きの馬との出会いによって、その花を咲かせるという不思議な縁。ただ、タマモクロスは南井との出会いがなくとも同じような成績は残したであろうが、南井はタマモクロスに出会ってなければトップジョッキーにはなれず、後の活躍も無かったように思う。

それでも「そんな馬に会うチャンスが何回かあれば、誰でもトップジョッキーになれる。」と南井は言うのだろうか。私はそうは思わない。

タマモクロスは種牡馬として、南井は更にその名声を高めるオグリキャップとナリタブライアンとの出会いという、話の続きがあるが、それはまたの機会に。

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