八百長とは
八百長とは、簡単にいうと「前もって打ち合わせをして、うわべだけの勝負をすること」を言うが、その類型はいくつかあり、単にそれが真剣勝負から「ショー」となるだけのもの、利得のからむもの、そして最も禁忌とされる金銭が絡むものがある。
また、狭義の「八百長」として「人気を集めるであろう選手やチームが敗退行為を行い、首謀者から見返りに金銭をもらう。首謀者はその敗退を利用した賭けで儲ける。」というものがあり、先日競艇の西川選手が逮捕された件がまさにそれであった。
真剣勝負のはずが「ショー」となってしまうというものの代表が、プロレスであろう。見ている方も半分はそのことを分かって見ているところもあるだろうが、プロレスというのは奥が深く、基本的には「ショー」と「真剣勝負」の混じったものである。
勝負だけに徹するなら、ボクシングや格闘技で見られるように、5秒でKOなんて事も有り得るが、プロレスはまず「ショー」の部分を見せてくれる。避けれる技をわざと受けるのがそれだ。
プロレスと競輪
そして、時間が近づくとそこからは真剣勝負。ここのところは競輪とも似ていて、最初の何周かは位置取りとライン形成のためにあり、そこでは同じラインの人間は味方となって共闘し、先頭は風を受ける不利を受ける代わりに番手、3番手にブロックしてもらう。
番手、3番手は風圧を避けることができる代わりに、後ろのラインからの抵抗をブロックし、先行を守るのだ。しかし、最後の直線ではラインの味方でさえ敵となり、全員での力勝負となる。最初は戸惑ったが、かの阿佐田哲也が「ギャンブルの王様」と言ったように、その奥深さと駆け引きは堪らない。
さて、プロレスに話を戻すと、前半の「ショー」はさておき、最後の真剣勝負で勝ち負けをつけるところまで「シナリオ」がある場合があるようで、そうなってくると、それは「八百長」となる。
あの大横綱(になるはずだった)双羽黒が、後にプロレスラー北尾光司となった時に問題となった「八百長ばっかりやりやがって!」発言も、「火の無い処に煙は立たない」じゃないが、そういった事もあったという事なのだろう。
日本の国技、大相撲
その双羽黒の活躍した相撲も、昔から「八百長」疑惑のある競技である。ただし、その内容は「前もって打ち合わせた」というものではなく、今流行の言葉である「忖度(そんたく)」という類のもので、千秋楽に「自分は勝ち越しを決めているが、相手は7勝7敗」という場合に「自然と力が緩んでしまい、相手が勝ってしまう」というものであり、私の理解もそういうもので、ファンもそれを許容していたところはあったと思う。
最年長名人となった名棋士米長邦雄の有名な「米長哲学」とは、「自分にとって消化試合だが、相手にとって重要な対局であれば全力で負かす」というもので、さきの「忖度」とは真逆の考えだが、どちらも日本人らしくて私は好きである。
そして、翌場所に立場が変わり、先場所「勝たせてくれた」相手に星を譲るといった具合である。しかし、2011年の「大相撲八百長問題」で、このような星の貸し借りに「金銭」が係わっていたことが発覚し、相撲界に激震が走る。
相撲協会は事態を重く見て、発覚後の春場所を中止を決定し、三役経験者を含む20名以上もの力士に対して引退勧告を行い、ほとんどの力士が同日引退届を提出するという前代未聞の不祥事となった。
最もいけない八百長
相撲界の八百長も大問題となったが、金銭のやり取りも所詮は仲間内で行われたものであり、関係者を処分することで基本的には問題は解消される。
その点、公営ギャンブルの場合は、公正を大原則として金銭を賭けるファンの存在があり、そこに敗退行為のような不正が行われた場合は、本来はその賭け金は返還すべきである。
もちろん、買った事を証する馬券の類は外れれば捨てられるし、当たっていれば換金されるから、現実的に返還は難しい。しかし、今はネットで購入される事がほとんどであり、履歴は残っているはずだから、返還できない訳でもないだろう。
賭け金の返還も問題であるが、八百長のような敗退行為が行われる余地のあるような競技は本来「賭け」として成立しないため、競技そのものの根本を揺るがすものであって、関係者を処分するに留まらず、競技そのものが八百長を許さないというシステムの構築を確立しなければいけない。
また、八百長によって資金を得るものは、反社会勢力やそれに準ずる組織である事が多く、その資金が反社会的活動に使われる虞が多いという問題もある。
競艇における八百長
そんな諸問題を含む公営ギャンブルの八百長であるが、つい先日、競艇における八百長問題が発覚し、世間を揺るがせた。

この後も競艇は中止などすることなく行われ、多少の是正策は取られたものの、未だに八百長疑惑のある選手は逮捕された西川選手の他にも数名存在し、その者に対する聴取などが行われたとの報道もない。
しかし、ファンの反応はそれほど否定的でもないようで「競艇なんてそんなもの」であったり、「八百長まで読んでこその予想」などという極論まで飛び出す始末である。これでは競艇の未来は輝かしいものにはならないであろう。
八百長のハナシ
どうも暗い話になってしまったので、ひとつ「八百長」というお題の小噺をでもしよう。但し、私のオリジナルではなく、確か井崎脩五郎のコラムか何かに載っていた話である。もちろん、氏の書いたものだから、おそらく作り話だろう。
さる南米のある競馬場で、箸にも棒にもかからないような駄馬が続けて大穴をあけた。しかも乗っている騎手は全て同じ騎手。それも万年最下位のダメ騎手で、昨年まで10年で10勝しかしていないところ、この1ヶ月で10勝もしているのだ。
これは怪しいと協会は調査する。替え玉を走らせているのか、何か薬でも投与しているのか、それとも騎手が替え玉なのか。
しかし内偵調査でも怪しいところはひとつもなく、不審な人物との接触もない。それどころか「何故勝てるのか分からない」「厩舎の柱につけたあのおまじまいの人形が良かったのかも」などと、調教師や厩務員、そこには件(くだん)の騎手まで混じって無邪気に喜んでいる。
協会も首をひねるばかりであったが、あるレースでそのカラクリが分かることになった。
レースは例の騎手がまたしても駄馬に乗って出走し、最後方からついて回っている。しかし、最近はここから凄い追い込みを決め大穴を開けているのだ。
そして、このレースも人気がないにも関わらず、最終コーナーから凄い脚で伸びる・・・はずが伸びない。とその時、前を走っている馬たちが、ある馬は逆走し、ある馬は騎手が手綱を引っ張り、果ては自分から落ちた騎手さえいる始末。
「そして、誰もいなくなった」コースを、歩くように例の騎手と駄馬が先頭でゴールインし、またしても大穴を開けた。
あまりのレースに協会が関係者全員を呼んで事情を聞くと、なんと例の騎手以外の全員が敗退行為をしていることを自白したのだ。そして、クサいと睨んだダメ騎手だけがそのことを知らずに走っていたと。
まるでどこかの推理小説のようだが、こういう方法もあるんだと感心した。
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